独眼竜 伊達政宗が愛用し共に埋葬された日本で最初の鉛筆
独眼竜政宗と呼ばれた伊達政宗が愛用した日本で最初の鉛筆の紹介です。
この凛々しい銅像は有名ですので、これを見れば伊達政宗とすぐに分かる方も多いと思います。
こちらは、伊達政宗の奥様が彫師に依頼して製作された伊達政宗の木造です。奥様が依頼したことから本人に非常に近いと思われます。
伊達眼鏡や伊達男など、男前やおしゃれを連想させる『伊達』は、この伊達政宗からきている言葉ですが、実際にこの伊達政宗もおしゃれであったことで有名です。
伊達政宗は、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康より世代がひとつ下であったことから、同じ世代であれば天下をとっていたと言われたほどの人物でした。
その流行やおしゃれに敏感であった伊達政宗は、なんとあの時代において鉛筆を愛用していたそうです。
伊達政宗の副葬品の中に伊達政宗愛用の鉛筆が発見されたとのこと。
こちらが愛用鉛筆のレプリカだそうです。
馴染みのある三菱鉛筆の鉛筆よりはるかに小さく細いものであったことがわかります。そして、驚くことにキャップが存在していることも面白いですね。
この伊達政宗愛用の鉛筆には興味深い特徴があります。
- 軸に芯を毛筆と同じような方法で取り付けられていること
- 軸の後ろは栓がされていること
- 楕円形の黒鉛が軸につけられていること
この3点があげられます。
ヨーロッパで初めて誕生する鉛筆は、棒状の黒鉛を木で挟み使っていたもので1565年頃と言われています。
このことから、伊達政宗愛用の鉛筆は、当時のヨーロッパの鉛筆を使った伊達政宗が筆の作りを応用し自分用に作らせたものであったものと考えられるそうです。
このことから日本で最初に作られた日本初の鉛筆ということになります。
※伊達政宗(1567年9月5日〜1636年6月27日)
この鉛筆が伊達政宗と共に埋葬されたことから、伊達政宗はお気に入りの愛用品であったことがわかります。
伊達政宗は、この小さな鉛筆で何を書いていたのか気になりますね。
自筆の絵なども見つかっていることから、この小さな鉛筆で絵を描いていたのかもしれません。
この鉛筆は伊達政宗にとってまさしくMyBungu。
MyBunguを愛用するものは、”伊達”=”おしゃれ”ということとなるでしょう。