夏目漱石を愉快と言わしめ愛用した万年筆

夏目漱石

夏目漱石を『愉快』と言わしめた愛用の万年筆を紹介します。

皆さんもよくご存知の『吾輩は猫である』のあの夏目漱石です。文豪と万年筆とは実に相性のいいものです。

時代とともに作家さんはPCを使うようになっているとは思いますが、昔は万年筆。そのまた昔はつけペンと言われるものを使用していました。

このデジタル時代においても書くことにこだわって万年筆を使用する作家さんも多くいらっしゃいます。

夏目漱石も元々はつけペンを使用していたそうで、当時インクボトルにペンをさし度々インクをつけることが面倒だったと語ってらっしゃいます。

そんな夏目漱石が『愉快』と語った万年筆は、オノトとい万年筆のことで、このことを書いた『余と万年筆』という作品があります。その中でこんな記述があります。

此間魯庵(ろあん)君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫(それ)では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減ったから軸丈(だけ)易(か)えて呉(く)れと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是(これ)がまあ一番長い例らしいと話した。

この魯庵君という方は、内田魯庵という作家さんです。
夏目漱石が訪れた丸善の店というのは、丸善雄松堂のことで、現在様々な事業を行う企業となり皆さんもよくご存知の今のジュンク堂書店や丸善書店を経営する企業です。

この内田魯庵さんは、1901年(明治34年)に丸善に入社しており、夏目漱石とは親交がありました。

丸善に訪れた夏目漱石と万年筆に精通する内田魯庵との会話ですが、
当時、万年筆を店員さんと話をし吟味して購入していたこと、そして壊れたら修理して使われていたことがよくわかります。

夏目漱石は、自身の万年筆のことを作品の中で語っています。

自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人なのである。始めて万年筆を用い出してから僅か三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。

万年筆のことをあまりよくわからないと語ってます。

尤(もっと)も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別として一本呉(く)れたが、夫(それ)はまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似をしてすぐ壊して仕舞った。

これは夏目漱石が手にした初めての万年筆のことが書かれたものです。
イギリスへ留学した時の話で、親戚から送られた万年筆をポケットに入れていた夏目漱石は、1ヶ月以上かかる渡航において鉄棒で器械体操の真似をした時にその万年筆を折ってしまったようです。

これが夏目漱石にとっての記念すべき1本目の万年筆でした。

そして、万年筆を失った夏目漱石はつけペンを使用し続けることになりますが、やがて万年筆を買おうと決意します。

なぜ万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸(ちょっと)思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆に就(つ)いて何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。

ついに、新たな万年筆を購入することになり、ペリカンの万年筆を2本購入します。
※ここでいうペリカンはイギリスのデ・ラ・ルー社が製造販売したペリカンというブランドの万年筆のことをいっています。

これが夏目漱石にとっての2本目3本目の万年筆でした。

ところがこの内容は『余と万年筆』というオノトに出会ったことが記された作品ですので、ペリカンの万年筆をまるで人格があるかのようにコミカルに語っています。

そうして夫(それ)をいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想は甚(はなは)だ宜(よろ)しくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気(インキ)を無暗(むやみ)にぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出して貰(もら)わなければ済まない時、頑(がん)として要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤(もっと)も持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精(ぶしょう)な余は印気(インキ)がなくなると、勝手次第に机の上にある何(ど)んな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注(つ)ぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌(きら)いな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑ました。其上無経験な余は如何(いか)にペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未(いま)だかつて彼を洗濯した試しがなかった。夫(それ)でペリカンの方でも半(なか)ば余に愛想を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限ぎって、此正月「彼岸過迄」を筆するときは又一時代退歩して、ペンとそうしてペン軸の旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後から懐しく思う如く、一旦見棄てたペリカンに未練の残っている事を発見したのである。

と夏目漱石は万年筆に愛情を持って語っています。
その思いから丸善へ訪れた夏目漱石は、世の中の万年筆の人気を知りこのように感じています。

万年筆の丸善に於おける需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就(つ)いて一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑みが酒を解する如く、筆を執る人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカン丈(だけ)の経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。

と夏目漱石は他の万年筆を試そうと思うようになります。

現に此原稿は魯庵(ろあん)君が使って見ろといってわざわざ贈って呉(く)れたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡(つみほろぼし)をした積(つ)もりなのである。

これが夏目漱石にとって4本目の万年筆でした。

内田魯庵より贈られたオノトという万年筆を使ったところ、『大変心持よくすらすらかけて愉快であった』と語っています。

万年筆では書き味の良さが気になるところ、ようやく書いた時の気持ち良さを感じることができたようです。MyBunguとの出会いのようですね。

夏目漱石は『其姉妹』と表現しているように、このオノトという万年筆は、ペリカンの姉妹ブランドで、同じくイギリスのデ・ラ・ルー社によって製造販売されたものであり、そのことを内田魯庵より知らされていることが見て取れます。

これらの内容から夏目漱石は万年筆に対してとても愛着をもち愛用していたことがよくわかると思います。

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夏目漱石とオノトのことが書かれた記事です。
丸善により復刻されるほど、夏目漱石とオノトは有名な逸話です。

夏目漱石のように愛せる万年筆を持ってみませんか。

 

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